UT-6のゴミ箱

夢を叶えようと画策する凡人の日々を綴っています

友達

 降りしきる雨の中、幼い俺を匿うには大きすぎる傘をさし、友の家へ駆ける。その日は雷雨だった。いつもより暗くどんよりとした家に一人。家族の帰りを待つのは退屈である、なにより小心者の俺は、暗い風呂場の影からお化けでも出てきそうで怖くてたまらなかった。

俺と友の家は、広い駐車場を隔てて2分程度の位置にある。足速に友の家へ向かいインターホンを鳴らすと友の母が中へと迎え入れてくれると同時に母親という存在が俺を孤独から匿う。

しかしもうそこに友はいない、数日前だろうか、それとももっと長い間だろうか。友は病に侵され亡くなった。短い付き合いだった。彼と知り合ったのは小学生に上がった頃。どういう経緯で俺と彼が知り合ったかは不明だが気付けば家族ぐるみの付き合いとなった。そして彼が亡くなったのは小学校1、2年生の時だろうか。突然だった。何やら目を腫らした母に連れられ彼の家へ向かう。彼はリビングの真ん中で肩口まで布団を被り、仰向けになっていた。夜の8時頃か、夜は浅く寝るには早すぎる時刻だった。彼の母は泣いている。俺の母も泣いている。反面、俺と彼の弟、この二人は涙をこぼしていなかった。齢はおよそ6歳と4歳程度、幼い俺たちに死とは何かを知るにはあまりにも早すぎたのだ。

俺が記憶する中でもかなり親密な関係だったと思う。ただ十数年も昔の話だ。彼に関する記憶はほとんど無い。声も背格好も忘却の彼方にある。そんな中でも覚えていることが2つだけある。一つ目、これは少し曖昧だが彼の遺影だ。カメラでも見つめているのだろうか。あまりに真っ直ぐな眼差しは今の俺の体たらくぶりを見透かされているようでならない。二つ目は、彼自身だ。正義感がとにかく強かった。なぜかはわからないが、俺が道理を外れたことでもしたのだろう。彼を俺を厳しく叱った。そんな経験が二度あるような気がする。

彼は、大人になったら何になっていたのだろうか。悪を見逃さない警察官だろうか。悪人に判決を下す裁判官だろうか。生真面目な彼だからきっとお堅い仕事にでも就いてるのだろう。

しかし、彼はこの世にはいない。死とは何だろうか。字引曰く、人生が終わる時、あらゆる生命機能が永久に停止する時。だそうだ。

彼は今後人生で起こりうる苦痛は幸福の多くを知ることなくこの世を去ったのだ。あまりに残酷だ。

なぜだろうか、ふと彼を思い出したのでつぎはぎだらけの記憶を辿りこの記事を作成した。